富山日伯交流友の会

富山県高岡市を中心に活動している「富山日伯交流友の会」です。日本とブラジルの交流とボランティア活動をしています。

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  富山日伯交流友の会の活動が、新聞やテレビなどで紹介されています。

   2月 1日(月) 特集 「虹」⑩ 共に生きる  国籍超えた「支え合う心」  (北日本新聞)


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≪主な内容≫

 正月寒波で積もった雪が残り、小雨が降るウイング・ウイング高岡前に、ブラジル風のトマトチキンスープや、
「シュハスコ」と呼ばれる牛肉の串焼きを求める人の長い列ができていた。
1月9、10日に高岡市のJR高岡駅前などで開かれた第24回日本海高岡なべ祭り。
「どうもありがとうございます。売り上げは、日系ブラジル人への支援に使わせていただきます」
富山日伯交流友の会のメンバーの大きな声が響いた。同会の会長で、自身も日系3世の木口実さん(39)は、
祖国の食べ物を通して古里から遠く離れて暮らす心情を知ってもらえた気がした。

 木口さんら友の会は、不況による派遣切りなどで、職を失った日系ブラジル人たちの再就職や生活を
サポートするため、食料品や日用品を配ったり、健康保険や雇用保険の手続きなどをポルトガル語で紹介した
ミニ新聞を発行している。
「生まれ育ったブラジルの人と、日本の人が尊敬し合い、心が通い合うための懸け橋になるのが、自分の役目」
木口さんはそう考えている。

 木口さんの古里、ブラジル・サンパウロ州は日系人が多く、古き良き日本人の美徳が息づいていた。
小学校では「困っている人の手となり、足となって、幸せな社会を築きましょう」と教えられた。
 獣医を目指し、サンパウロの専門学校で学んでいたとき、幼いころから、憧れていた日本をこの目で見たいと、
長野県の企業で1年間研修生として働いた。
いったん帰国したが、「もっと自分のルールについて知りたい」と思い、半年後に再び来日。
平成3年に高岡市にやってきた。
長く人材派遣会社で日系人らの管理や通訳などを任され、現在は別の企業で翻訳の仕事をしている。
27歳のとき、高岡市で知り合った由香里さんと結婚。「日本で生活していこう」と決断し、永住権を取得。
高岡市が第2の古里になった。
 高岡市には当時から大勢の日系ブラジル人が出稼ぎに来ていたが、日本人と積極的にかかわり、
日本の言葉や習慣を吸収しようとする人は少なかった。「日本人との間に壁がある」と感じた。
木口さんは音楽を通じて日系ブラジル人と日本人が交流する機会を設けようと、
高岡志貴野ライオンズクラブと協力して、サンバチームを結成。
イベントや福祉施設などに出向き、積極的に日本人と触れ合ってきた。

 20年秋、米国のリーマン・ショックに端を発する世界不況で、日本で働く日系ブラジル人の状況は一変した。
高岡市でも大勢の日系人が職を失った。雇用保険が切れ、やむなくブラジルに帰国する人が後を絶たず、
ピーク時約2000人いた日系ブラジル人は、1500人ほどになった。多くは製造業で働く人たちだった。
木口さんの周りでも職を失う人が次々に出てきた。
高岡に来てから10年来の付き合いになる日系ブラジル人の男性もその年の12月、勤め先の工場を解雇された。
妻と2人の子供を養っていたが、収入がなくなった。足に持病を抱え、再就職は難しかった。
「日本人が敬遠する3Kの仕事も日系ブラジル人はこなしてきたのに。何とか助けてあげたい」
木口さんの思いは強くなっていった。
 有志で友の会を結成し、ミニ新聞づくりを手始めに、市内で日系ブラジル人が多く暮らす
下関校区の同校下連合自治会と協力して支援物資の寄付を募った。
わずか2週間で、インスタント食品や砂糖などの食料品をはじめ、シャンプーや洗剤、タオルといった生活雑貨、
学校の制服などが山のように寄せられた。国籍を超えた支援がうれしかった。

 「ミノルは、日本人以上に日本人らしいハートの持ち主。彼が頑張っているから、みんなもやらなければと思う」
サンバチーム結成時から共に行動してきた高岡志貴野ライオンズクラブの斉藤能規さん(55)はそう言う。
 日本海高岡なべ祭りも、そんなメンバーの思いが一つになった。
日系ブラジル人に配る食料品や日用品の購入費を確保すること、多くの市民に友の会の活動を知ってもらうことが
目的だった。
 日本人の味覚に合わせたレシピづくり、大なべや器の手配、チラシや看板の作成、材料の買い付け・・・。
準備はメンバー全員で手分けした。思っていた以上に手間も時間もかかった。
それでもメンバーの心は充実していた。「困っている日系ブラジル人を助けるために自分たちができることをしよう」
 当日は高岡志貴野ライオンズクラブのメンバーも仲間に加わった。日本の会社では「社長」と呼ばれている
人たちが、手製の看板を掲げて、客に呼び掛ける姿を見て、木口さんは驚いた。
トマトチキンスープ、牛肉の串焼きは2日とも完売だった。
「この経済危機は悪いことばかりじゃない。ポケットは寒いけど、心は前よりあったかい。
人は1人では生きられない。支え合うことの大切さを、多くの人が知るきっかけになる」
木口さんは、2本の線が支え合う形の漢字がなぜ「人」なのか、分かったような気がした。

 木口さんらの思いは、日系ブラジル人たちの心にも響いた。
「いまの苦しい状況から脱したら、友の会に貢献したい。今度は自分たちが支える側になりたい」
工場を解雇された男性は、支援物資を受け取ると、そう口にするようになった。
男性はいま、別の工場に勤務している。妻も子供も仕事が見つかった。
これまで、どこか日本人に距離を置いていた男性が、地域に溶け込もうとしているように思え、木口さんはすこし
ほっとした。

 日系ブラジル人と日本人の間にある「壁」をなくし、地域で共に生きる喜びを分かち合いたい。
これが木口さんらの願いであり、目標だ。
昨年末、友の会のイベントに参加した日系ブラジル人が、勤め先でもらった卵を会に寄付し、それを知った
日本人の上司が、継続的に卵を提供すると申し出てくれた。「善意の輪」が確実に広がっていると感じる。
「いまはまだ種をまいているところ。それが花開くように、もっともっと、きずなを深めていきたい」



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